遠足では辿り着けなかった場所|西の丸百間廊下で知った千姫の時間

レジャー
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こんにちは。スミレ(母)とレモン(娘)です。当ブログを訪れていただき、ありがとうございます。

スミレは、高校のとき、授業の一環で姫路城を見学したことがありました。6時間目に設定されていて、見学が終わったらそのまま帰れる、という日でした。正直に言うと、そのときの記憶は「早く帰りたい」しか残っていません。

45分で回れるはずもなく、天守を見て終わり。西の丸まで行った記憶はありません。たぶん、みんなで飛ばしていたのだと思います。

今回、スミレは時間を測りながら姫路城を歩きました。

入城券に印字されていた時刻は13時02分。天守を見て戻ってきたのが14時05分頃。それから西の丸へ向かい、百間廊下を歩くのに、30分ほどかかりました。

百間廊下は「百閒廊下」とも書かれ、「閒(もんがまえに月)」は旧字体です。この記事では、新字体の「百間廊下」に統一して書きます。

西の丸の長い廊下の窓からは、白い天守を内側から眺めることができ、守られる場所と守る場所の関係が、静かに伝わってきました。

靴を脱いで百間廊下に入った瞬間、はっきり思いました。――ここは、絶対に来たことがない。

レモン
レモン

この記事はこんな方におすすめです!

  • 姫路城に行ったことはあるけれど、西の丸や百間廊下までは行かなかった人
  • 天守だけでなく、城の中で過ごした人の暮らしや時間にも興味がある人
  • 千姫という名前は知っているけれど、どんな人生を送った人物なのかは知らなかった人
  • 歴史を「年号や出来事」ではなく、「その場で生きた人の視点」で感じてみたい人
  • 写真を撮りながら、ゆっくりと姫路城を歩きたい人
  • 観光地としての姫路城ではなく、静かな場所としての姫路城を味わいたい人

※短時間の見学では気づきにくい場所なので、時間に余裕のある方に特におすすめです。

時間をかけないと辿り着けない、西の丸

▲ 天守から戻って、西の丸の方向へ進みます。

天守を見終えたあと、西の丸へ向かうと、それまで歩いてきた姫路城とは、空気が少し変わったように感じました。

人の流れが落ち着き、歩くスピードも自然とゆっくりになります。写真を撮りながら進んだこともあり、「見学」というより、「歩く」という感覚に近い時間でした。

学生の頃、ここまで来なかったのも無理はないと思います。限られた時間では、どうしても天守が優先になる。西の丸は、時間をかけることを前提にした場所でした。

靴を脱いだ瞬間、初めてだと分かった百間廊下

▲ 百間廊下は、靴を脱いで入ります。初めて来た場所だと、はっきり分かる瞬間でした。

百間廊下は、靴を脱いで入ります。その時点で、スミレは確信しました。ここは、これまで何度も来た姫路城の中で、初めて足を踏み入れる場所だ、と。

長い木の廊下が続き、縦格子の窓から、やわらかな光が入ってきます。観光地というより、静かに時間が流れている空間でした。

天守の急な階段や、人の多さとはまったく違います。百間廊下は、立ち止まり、展示を読みながら進む場所でした。

百間廊下で初めて知った、千姫の人生

▲ 百間廊下の窓から見える景色。千姫も、ここから同じように外を眺めていたのかもしれません。

百間廊下には、千姫についての展示が多くありました。名前は知っていましたが、どんな人生を送った人なのかは、ほとんど知りませんでした。

展示を読んで、千姫が徳川家康の孫娘であることを知りました。豊臣秀吉が、徳川家との関係を深めるために、千姫の嫁入りを約束させたことも書かれていました。

千姫が7歳のときに、11歳の豊臣秀頼に嫁いだことを知りました。マリー・アントワネットでも14歳だったと書かれていて、それよりも幼かったのかと思うと、言葉が出ませんでした。

3歳の息子を亡くし、秀頼は自害し、その後再婚した忠刻は病死。スミレは、その一つひとつを知るたびに、千姫が背負ってきたものの大きさに言葉を失いました。

それでも展示には、千姫にとって、姫路城で過ごした10年ほどの時間が、一番穏やかで幸せだったと書かれていました。

その一文を読んだとき、スミレは、いつの間にか千姫の人生を「外から眺めている」のではなく、百間廊下の中から、千姫と同じ目線で景色を見ているような気持ちになっていました。

▲ 百間廊下に展示されていた、千姫の人形。華やかさよりも、静けさが印象に残りました。

展示の人形が、千姫を「実在した人」に近づけた

百間廊下には、窓の外を眺める千姫の人形や、等身大の千姫の人形も展示されていました。紙の人形、と言っていいのか分かりませんが、その姿を見たとき、千姫が少しだけ身近に感じられました。

名前や年表ではなく、この廊下で、外を眺めていたかもしれない一人の女性として、想像できたからかもしれません。

特に印象に残ったのは、
私は日々、本多家の繁栄と、忠刻様との幸せを願い、お祈りしました
という言葉でした。

政略結婚のために生まれ、翻弄された人生の中で、それでも誰かの幸せを願っていた人だったのだと知り、千姫は、歴史上の人物ではなく、この百間廊下で静かに生きていた一人の人だったのだと感じました。

▲ 窓辺に立つ千姫の展示。「私は日々、本多家の繁栄と、忠刻様との幸せを願い、お祈りしました」という言葉が、心に残りました。

化粧櫓と、女中たちの暮らし

▲ 百間廊下の奥には、化粧櫓があります。

百間廊下の最後には、化粧櫓がありました。

化粧櫓は、千姫が本多忠刻に嫁いだ際、将軍家から贈られた十万石の化粧料の一部で建てられたといわれています。

名前から、化粧をする場所なのかと思っていましたが、展示を読むと、千姫が城の西北にある千姫天満宮を遥拝する際の、休息所として使われていたと知りました。

城の中にありながら、どこか住宅のような造りで、ここで静かに祈り、少し息をつく時間があったのかもしれないと思いました。

▲ 先ほどの化粧櫓の展示から、さらに進むと、ここに着きます。

百間廊下には、女中たちのくらしについて紹介する展示もありました。華やかな場所ではなく、日々の生活を支えるための空間だったことが伝わってきます。

千姫の静かな時間のそばには、名も残らない多くの人のくらしがあったのだと思いました。

▲ この場所で多くの女中たちが千姫の生活を支えたのでしょうか。

姫路城は、戦う城だけではなかった

天守では、狭間や武具掛けといった、戦う城としての仕組みを多く見ました。それに対して百間廊下は、人が生きた時間を想像する場所でした。

何度も訪れた姫路城で、初めて知った空間。時間をかけて歩いたからこそ、見えてきた場所だったと思います。

この百間廊下を、ゆっくり歩くことができてよかった。スミレにとって第4弾は、姫路城をこれまでとは少し違う距離で見つめ直した一日になりました。

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