こんにちは。スミレ(母)とレモン(娘)です。当ブログを訪れていただき、ありがとうございます。
姫路城では、天守にも入り、百間廊下も歩きました。写真も、思っていた以上にたくさん撮りました。
それでも、姫路城をあとにする前、もう一度足を止めて見ていたのは石垣でした。
専門的な知識はありません。「扇の勾配」という言葉も、あとから知ったものです。そのときはただ、石垣を見上げて、「これは、すごいな」と思いました。
今回は、その気持ちを書いてみようと思います。

この記事はこんな方におすすめです!
最後に足が止まったのは、石垣でした

天守閣の中も、百間廊下も、しっかり見ました。それなのに、帰るときに自然と足が止まったのは、石垣の前でした。
天守閣と石垣が並んで見える景色は、姫路城らしさが一番感じられる場所だと思います。白く美しい天守閣を支えているのが、この大きな石垣なのだと、改めて感じました。
石垣は、ただの背景ではありませんでした。それだけで、十分に見応えがありました。
どうやって積んだのかは分からないけれど

石垣を見上げながら、スミレはずっと考えていました。
重機もない時代に、こんな高い場所まで、どうやって石を運んだのだろう。とにかく人数だったのか、てこの原理だったのか、手押し車のような道具があったのか。
人の手で積み上げられたことだけは、はっきりしています。
理屈より先に、「すごい」という感覚が来ました。それだけで、十分でした。
姫路城の石垣は、時代が重なっている
説明を読んで、姫路城では時代ごとに大きな改修が行われてきたことを知りました。
羽柴秀吉の時代、
池田氏の時代、
本多氏の時代。
同じ城の中に、異なる時代の石垣が残っています。
積み方や石の形が少しずつ違うことも、説明を読んで初めて意識しました。

姥ヶ石の話を知って、石垣が人に近づいた

羽柴秀吉の時代、石集めにとても苦労していたそうです。
その話を聞いた城下で餅を焼いて売っていたおばあさんが、石臼を寄付したという話があります。
そのことが全国に広がり、各地から石臼が集まったそうです。
その石臼は、石垣の間を埋める間詰め石として使われています。石垣の上の方には、欠けた石臼が積まれているとも書かれていました。
どの石がそれなのか、スミレには分かりませんでした。説明しながら案内している人を見かけましたが、話を聞くことはできませんでした。
「あれ、聞きたかったな」そんな気持ちが、少しだけ残りました。
百間廊下で見た展示と、回る順番のこと
百間廊下には、狭間や石落とし、石垣の仕組み、幻の窓についての展示がありました。
百間廊下では、どこか千姫の目線になったような気がしながら見ていました。石垣を見上げて立ち止まった今回とは、同じ姫路城でも、まったく違う時間でした。

石垣のブロック模型は、一部を外したり、はめたりできるようになっていて、積み上げるだけではないことがよく分かりました。
展示を見ながら、「百間廊下から回っていたら、見え方が違ったのかもしれない」と思いました。
幻の窓に関する展示も読みました。天守閣の最上階は人が多く、隅から隅までゆっくり見ることはできませんでした。幻の窓がどこに展示されていたのかも、はっきりとは分かりませんでした。

天守で聞こえてきた、ガイドさんの話

天守閣の中で、ガイドさんの説明が聞こえてきました。
開け閉めできる窓と、枠だけの窓。開け閉めできる窓は、修理のために、外に出られるように作られていたこと。
説明を聞いているだけでも、とても面白そうでした。
あとから調べて、「姫路城シルバー観光ガイド」という存在を知りました。受付で申し込めば案内してもらえるそうです。混雑状況によるかもしれませんので、興味がある方は、受付窓口で聞いてみてください。
スミレは、後から入口で聞いておけばよかったのかな、と少し思いました。
正解は一つじゃないと思った

百間廊下から回ってもいい。天守閣から回ってもいい。ガイドさんと一緒に回るのもいい。
見どころをたくさん調べてから行くのもいいし、何も知らずに歩くのもいい。
見逃したと思ったら、また来て、違う見方をすればいい。スミレは、スミレなりに考えながら歩きました。
まとめ

石垣は、見上げただけで「すごい」と思える存在でした。理由をうまく説明できなくても、感動はちゃんと残っています。
見逃した展示もありました。聞き逃した話もありました。それでも、石垣を見上げて立ち止まった時間は、スミレにとって、今回の姫路城でいちばん心に残っています。
どこから回っても、どんな見方をしても、姫路城は、それぞれの時間を残してくれるお城だと思いました。また来たときは、きっと違うところで足が止まる気がしています。


